チベットの近代史とチベット問題

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チベット問題

前のページでも記載しましたが、チベットは中国の一部であり、チベットという国は存在しません。中国の「チベット自治区」のことをチベットと一般的に呼ばれています。チベット問題を簡単に記載すれば、チベットは中国に軍事侵略され、宗教的、経済的、文化的、政治的に様々な面で弾圧を受けているということなのです。チベット仏教最高指導者であるダライ・ラマの写真を所持することですら現在は違法とされています。私もこの問題に関して少なからず調べ、勉強をしたのですが、個人の乏しい知識でこの場で記載するには色々と問題があると考えました。

なので、チベット問題に関しては「こちら」のサイトが詳しく説明を記載していますので参照してみてくさい。

管理人が思うところはチベットの独立はもはや夢物語ですが、 チベットの伝統、文化、風土、宗教が誰でもないチベット人の手によって築き守られていって欲しいということです。 民族という問題は日本人には遠い世界(実際にはありますが)に感じられますが、誰もが他人により自身の主体性を抑制されることは望まないことは理解いただけると思います。

日本では中国との関係もあり、チベットの問題があまり大きく取り上げられることがありません。北京オリンピックにより最近でこそチベットが話題になることが多いですが、チベット問題そのものを根本的に報道されてはいないように思われます。このサイトを見られた方は上記サイトなどを参考にチベット問題に関して少しでも関心をもってもらえればと思います。

チベットの近代史

チベット問題にかかわるチベットと中国の歴史をピックアップして紹介します。

年代 内容
1911年 ■辛亥革命により清国崩壊。中華民国の建国
1912年 ■清国滅亡後。チベットは独立を主張
1949年 ■共産党の人民解放軍が中華人民共和国を樹立
1949年 ■中華人民共和国が「チベット解放」を宣言
 解放というと言葉は綺麗ですが、チベットは中華人民共和国の一部であると
 宣言したに近い。
1950年 ■人民解放軍がチベットへ侵攻
1950年 11月 ■チベット政府「共産中国による侵略」を国連に提訴
1951年 5月23日 ■「十七か条協定」によりチベットは中華人民協和国の統治下に
1951年 9月9日 ■約20000人の人民解放軍がラサへ到着
1956年 ■チベット動乱が勃発。1959年にはピークに
1959年 3月31日 ■ダライ・ラマ14世がインドへ亡命
インド北部のダラムサラにチベット亡命政府を樹立。亡命政府とともに約6000人のチベット人がダラムサラ暮らしている。
1966年-
1976年
■文化大革命
中国共産党内部による権力闘争。中国内部も混乱に陥るとともに、 このときチベットの数千寺院が次々に破壊を受ける。
チベットの被害も甚大であるが、これにより中国の経済発展は20年は遅れたと言われている。
1989年 ■ダライ・ラマ14世 ノーベル平和賞受賞
2000年 3月 ■中国政府による西部大開発の取組み決定
2006年 7月1日 ■青蔵鉄道がラサまで開通
上記西部大開発の取組みの一環。日本では清海チベット鉄道とも呼ばれることが
 多い。ゴルムドからラサまで総延長距離1142キロ
2008年 3月14日 ■チベット人によるデモの勃発

北京オリンピック開催を発端にした現在2008年のチベット動乱に関しても同様ですが、
チベット問題に関しては一方的な情報を鵜呑みにするのではなく、様々な立場の情報を客観的な立場から
収集することをお薦めします。

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